美青年黙示録

ニコニコ動画で半生を彩られた人生を送る。享年25。男の娘。好きなものは美青年、例のアレランキング、音楽。 フリーランス生活が孤独すぎて鍵垢からのそのそと這い出ブログを始める。 よろしくお願いします。

『プロメア』という社会現象

かつて、プロメアという光があった。

公開期間2週間ほどとオタクアニメ映画の常識に則して短く取られたその映画はおったまげの大・大・大・大・大ヒットを記録し、おそらくこの遅効性ウイルスが流行っていなかったら現在も全国のどこかで上映していただろうというくらいだ。

 

私は美青年のケツを追っかけることを生きがいとしており、プロメアもその限りではなかった。

"プロメア"というアニメ映画と思しきモノが発表された時、公式サイトを見に行った時、私は1人の少年を見つけた。

 

リオフォーティア。

 

リオ・フォーティアね。ボンテージやライダージャケットを彷彿とさせる黒くてテカテカのエナメルみたいな生地に、何故かふわふわの白いフリルがついていて、顔が上玉。髪もふわふわしていて、なんだか女の子みたいだ。かわいい。

これは間違いない。

すぐさまTwitterに舞い戻り筆を取った。絶対にコイツにハマると。上映が楽しみだと。

そして月日は流れ、リオ・フォーティアのことなんか忘れていた頃映画が公開される。確か5月公開だったから、丁度1年ほど前のことだ。

 

オタク友達と連れ立って渋谷ヒューマントラストシネマに観に行った。画面が小さい。遠い。

それは良いとして、物凄い"圧"の映画だった。

あるシーンで、皆一様に息が止まる。

 

ん……………………?????.

今せ……接吻を…………………………?

 

 

上映終了後、オタク4人で困惑の討論会が始まる。

「キスしてたよね!?」

「長くなかった!?!?」

「どういう顔をしたら良いかわからなかった(興奮)」

いや人工呼吸だろというツッコミにはこちら原文ママで行きたいので許して頂きたい。

(例のシーンが)長い長いと感想を交わしながら、皆一様に意見は一致していた。とても面白かったと。

 

その日からプロメアに取り憑かれた日々が始まった。

 

結論から言うと、私はプロメアを10回観た。10回観た所で、何か吹っ切れて満足した。しかし逆に、10回観るまで何か物足りなかったのだ、何故だろう。金銭的にも(かなしいなあ…)私は映画を何度も観るタチではなく、唯一のリピート体験としてはキンプリに友人付き合いで3回行っただけだ。(応援上映目当て)

しかしツイッターを見る限り他にも多くの人間が何度も何度も繰り返し、狂ったように足を運んでいた。オタクは好きなアニメの映画を何度も観る傾向があるが、プロメアの場合猛者の割合が常軌を逸していた。応援上映などの影響もあるが、皆、取り憑かれたように足繁く劇場に通ったのである。

なぜ?

 

プロメアのストーリーについては割愛しよう。おそらく多くの人間が詳しく語っていると思うし。

私が一番"持っていかれた"シーンは序盤から中盤にかけて、洞窟でのリオ・ファーティアという"神体"との邂逅、ΛSHESの流れるあのシーンだ。

あのシーンの神々しさ、近寄れなさ、尊(たっと)さ、切なさ、儚さと言ったらない。

いち観客であった私が目を瞠ったくらいだ、ガロなんかひとたまりもなかったろう。

 

倍音成分の多いシンセでの導入で"何か起こるぞ"という予感を、ライズのFXで緊張感を。押し寄せるストリングスの波。あまりにもエモーショナルに、しかし落ち着いて積み重ねられた音の数々。

ガロ・ティモスに同調している私たちは、リオに注目している。

リオは、静かに、しかし強い感情を伴って真実を吐き捨てる。そしてバーニッシュの女の子に蘇生を試みるシーン。

ガロの目で見るそのシーンは、命を分け与えんとするリオは、あまりに、あまりに綺麗で、悲痛で、手を伸ばしたくて。

 

そして救命が失敗し祈りを捧げるリオ・ファーティアの後ろ姿。

たしか、下からのアングルだった気がする。

狂おしいほどに美しかった。

 

私の欲しい美青年像を遥かに超えて目の前に呈示されたそれは、あんまりに神々しくて、目も当てられないほど淋しげだった。

 

もう、洞窟のこのシーンを見るためだけに10回も通ったと思う。それ以外は何もいらないくらいに心象的で、それくらいなにか、なにかあのシーンから掴める気がした。

掴まなきゃいけない何かが存在するような気もした。何かはわからなかったけれど、確実に何かが存在していた。

愛なのか義務なのか哀しみなのか悲痛なのか悲壮なのかはたまた恋なのか、わたしには到底わからない。

しかしあえて言うなれば、"予感"に近い気がする。静かな興奮と、緩やかな慟哭に包まれてそれは明確に存在を私たちの心に訴えかけてくるのだ。そうかもしれない。あれは、予感だったのだ。リオ・ファーティアという天使めいた存在がこの手に触れるという、ガロティモスの第六感を肌で感じ取っていたのだ。

 

 

(ΛSHESの下りを長く書きすぎて真面目になってしまったので(草)

応援上映とかライブザウンドとかプロメヤカフェとか、そういう話は次回にしますゥ…)