美青年黙示録

ニコニコ動画で半生を彩られた人生を送る。享年25。男の娘。好きなものは美青年、例のアレランキング、音楽。 フリーランス生活が孤独すぎて鍵垢からのそのそと這い出ブログを始める。 よろしくお願いします。

正義とは?

正義とは?

 

そもそも、正義とは?

wiki先生〜!

 

正義(せいぎ、英: justice、仏: justice、独: Gerechtigkeit、羅: jūstitia、希: δικαιοσύνη)は、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさ[要出典]に関する概念である。正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。以下では、もっぱら西洋における概念(すなわちjusticeないしそれに類似する言葉で示されるもの)を記述する。東洋のそれについては義のページを参照。

 

私は(隙有自語)

いやてか、この(隙有自語)て、いらなくない?私のブログなんだから自分の話をして当たり前でわ?そう、この(隙有自語)も、読んでいる人間に発生する可能性のある悪感情への予防線であり、要するに架空の、自分の想像した"悪"に怯えていると、そういうことなんですよ。いやだねえ。(邪婬)

というか、正義とはなんぞやをとっちめていくと最終的になぜ戦争は起こるのかとかその辺まで波及する。いやだねえ(2回目)

やめましょう、そういうのは。本官そういうの10代でやめたの!(インパルス板倉)

話が進まない。

 

私は(仕切り直し)

学生の頃、心理テストを受けたことがなかっただろうか。あ、心理テストじゃ無い?じゃあなに、あれは(困惑)なんか思考の傾向のテストみたいなの、あったとお、もうんですけども…

ともかく、あったのだ、入学時に全員やらされる謎の機関(?)の学校公式の心理テストが。

んで、結構な問題数があり40分とか50分とかかけてマークシートを付けていくのだが、あろうことか私はBLEACH黒崎一護になりきってそれを問いていた。

 

は?

 

たまげたなあ……(勝手にたまげてろ)

 

割と本気で黒崎一護になりたかったし、カラフルな文具がこれでもかと詰まったペンケースには斬月(解放前)のキーホルダーをこれ見よがしにぶら下げていた。いやだねえ。(3回目)

ともかく、なにが言いたいかというと異様にヒーローへの憧れがあった。ハリーポッターを読んでいる時は私はハリーだったし、デスノートを読んでいる時は私はLであったし、 Dグレを読んでいる時は私はアレンであったし、デルトラクエストを読んでいる時は私はリーフだったし、レイチェルを読んでいる時はレイチェルだったし、バーティミアスを読んでいる時私はナサニエルで、ダレンシャンを読んでいる時私はダレンだった。当時偶然時たまその時私が黒崎一護であっただけの話で、なんてことはない。心理テストが黒崎一護なのも、当たり前だ。私は自分のことを黒崎一護だと堂々と感じていたし、私以外の人間はジャガイモだった。だって私は黒崎一護なのだから。(たまげたなあ…)

まあそのあと私はアクエリオンに乗るんですけども(暗黒微笑)

 

とにかく、昔から正義感が強かったし、正義への憧れがハンパでわなかった。(いやだねえ…)(3回目)

 

しっかし、正義とは?

正義とは?(2回目)

昔は分からなかったが、今ならわかる。正義とは人それぞれ全く形が異なっておりそれは時によって、場所によって、気分によって変貌する。絶対的正義など存在し得ない。ああ…(絶望)

ここ、絶望する所なんですけど、わかります?

そこんとこ、漫画や、アニメではうまく書かれますよね。そういうことなんですよ(どういうこと)

漫画やアニメに書かれるように一辺倒に正義など存在しない。法律だって正義でゎない。アルルェは人と人との利害関係を究極なまでに平坦にした物であって、正義かどうかはまた別の話だ(ちと、衒学的)

そう考えると、腹が立ってきた。私は常に世界に対して公正でありたいと思っているし(ここは攻殻sacのオマージュ)絶対に正しくないことはしたくない。正しいことこそ美しいと思っているし、そこここは間違いなく私の芸術的観点、即ち美学、即ち美青年に通じている(は?)

でも、本当なのだ。私がヒーロー漫画やアニメで培ってきた絶対的正義は、絶対的美学であり、創作でなし得たいことの絶対的極地なのだ。

正義とは?

正義とはなんだろうか。

私は世界に対して正義でありたいし、正しくない人間は平坦にしたい。

 

しかし私の正義は、即ち私の裁定基準は、他の人間にとってゴミであるかもしれないし、ゴミであるからして私の正義は却下されるかも知れないし、ゴミであるどころか私の正義は他の対象を傷つけるかも知れない。

正義とは?

自分が、または世間一般的に見て正しいから正義、でゎないのだ。

 

正義とは、

その時点(物事の時系列)、

その場所(相手の、そして自分の環境的立場)、

そのありか(相手の感情から算出される情状酌量の余地)(要するになにが起こって相手がその立ち位置になったかということ。原因により情状酌量が生まれる場合もまたあり)

 

まあ平たく言えばですけど、こんな感じで数えきれない多くを持ってして裁定されるべきではなかろうか。

というか、私は、そうでありたいと思いますよ!

自らの考えによって裁定される正義などゴミですよ!

だからね、要するに、ヒトは皆裁判官よろしく人を糾弾する前に我が身について自問自答を繰り返すべきってわけ。なんじゃないだろうか。

自分がなぜその答に至ったか自問自答を繰り返して、それでもダメだったら。ま、結果的には変わらんがワンクッションは置ける。

 

私は攻殻機動隊S.A.Cのことを人生の長、バイブル、哲学書自己啓発書、正義の指針として長年崇め奉っているわけですけども、

有名なこの名言

 

「世の中に不満があるなら自分を変えろ!!

それが嫌なら、耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ!!」

(ほんとは「それも嫌なら…」と銃口を向ける描写が続く)

 

ああ^〜

どうです?いい匂いでしょう!(パフュームドワーフ)

 

わかりますか?そうですよ。これはね、哲学ですよ。私だって世の中に不満はある(あるか?)あるけども、私はえらいので、結局のところ最終的に自分だと言うことは分かっているし、私はえらいので、自分が進んでいくしかないということも、わかる。

 

なにが言いたいのか分からんが、私は私の言いたいことがいつも分からないのでなんら問題はない。せいぜいこれを読んでくれた稀有な方々が困るくらいだ。

 

はあ。なにが言いたいか全く分からん。

ただ一つ私がいつも言っているのは、この国の情操教育には些か問題があるということですよ。

倫理哲学を蔑ろにしてなにか残るだろうか?

器だけ豪勢でハリボテの人間が築いたハリボテの虚像が長らく繁栄するとでもお思いを?(なっちの体現止め)

話は変わりますが

大学の頃統合失調症と思しき教授がいた。

授業はまともにやらない。しかし実力と実績はあって、いわゆる天才肌の人間、そして天才肌で感覚的が合わさると教師としては最悪である。もうお察しであろう、言ってることが分からないのだ。言っていることがわからない教師に、何の意味が?

辛辣な言葉はよすとして、その教授はいつも講義部屋に入ってくるなら結界を敷いた。(は?)

は?と言いたいのはこちらの方である。は?

ほんとうだよ。ほんとにほんと。(RRM)

なんというか、空気を良くする結界を敷かないとダメらしい。

空気をね。きれいにしましょうね。

そう言いながら部屋の四隅に丸い謎の物体を置いた。

最後の四隅に謎の物体(結界)を置いたところ、どうだろう。

なにも変わらない。

なにも変わらないのだ。

そうして私たちはめでたくその教授を統合失調症と認定した。(草)

 

前置きは良いとして、やはり感覚的な人間、なんでも概念でものを言う。

そんな概念お化けで私たちの役に立たない教授でも、一つだけど面白いことを言っていた。

 

「この世界にはね、人間の皮を被ったモンスターが多すぎるんですよ」

 

糖質は面白いことを言うんだなと思った(草)

しかしね、しかしですよ。

みなさん、10代はまだ難しいかも知れんが、社会人。まともな社会人であれば"人間の皮を被ったモンスター"に絶対遭遇したことがあるはずだ。

嗚呼…悲しいかな、いるのだ。絶対にこちらの言うことが、言葉が通じない人間はいる。いるもんはいる。いるったらいる。えるしっているか、人間は分かり合えない。

人間は分かり合えないので、正義など無理だ。

ああ………………

 

私の母が典型的な言語が通じないタイプである。私の母は人間ではない。およそ人間的ではない脳の仕組みをしている。私が幾度噛み砕いて、この類稀なる高等・話・テクニックを用いて(笑うところ)懇切丁寧に図解して時間をかけて説明したとてあらぬところから返答が飛んでくるのだ。数秒後にはあらぬところから飛躍した論法をさらに発展させた形で怒鳴られる。

 

わたしのはなし、きいてた…………???

 

(母は現在は統合失調症を患っておりもはやあらぬところレベルでは無い。わたしは異世界と毎日交信しているが、別に異世界のことが嫌いなわけでは無い。本人だって異世界に住みたいわけではないだろう。全くもって仕方のない、回避不可能な怪現象に巻き込まれてしまっただけのことだ)

 

嫌いである。人間の言葉が通じない人間がいるのだ。わたしは概念お化けの教授に倣って"人の皮をかぶったモンスター"と呼んでいるが、絶対的に"ソレ"は一定数存在していて、あろうことか"ソレ"のほぼ全てに自覚が無いのだ。

 

嗚呼……………………

 

"ソレ"はなぜ生まれるのか?

わからない。分かったことなど一度もない。モンスターは年代の話ではない。どの年代にもいる。年下は観測したことがないが同い年から上は基本どの年代にもいる。

 

でも、"ソレ"と懇切丁寧に対峙していてなんとなく分かることもある。傾向として、徹底的に自らの非を認めることを嫌がる。これはもう本人たちにとって絶対らしく、陣地を守るためなら何でもする。ヒステリも起こす。相手を恫喝もする。真実もねじ曲げる。一分たりとも非を認めない。まるで認めたら死んでしまうかのように。なぜ?なぜそんなに弱い精神に育ってしまう?正を導き出すには時には己の一部分も否定しつつでもねと論を展開するのが一番"強い"ハズなのにそれすらもできないのだ。なぜ?

精神的に弱いとか、そういうのもあるだろう。

しかしわたしは、倫理的見地が圧倒的に足りないせいだと睨んでいる。

教育だ。

議論というのは多くは双方にストレスが生じるものであり、通常相手の意を聞いている最中自らのストレスを飲み込んで相手の意見を咀嚼してでも、とか、それはそうだけど、と解法に載せていって互いのすり合わせを図るのが議論だ。

己が悪くないを一生続けると、並行線を辿ることになる。議論というのは、勝ち負けかもしれんが(ディベートとかはそうなの?)普通に一般人同士で勝ち負けしてどないするんや。すり合わせを、せんと、どないする!?

 

そんなこともわからない人間に、どうして育ってしまう…?(困惑)

さっき教育と調子乗って書いたが、分からん。

分からんが、わたしは倫理教育として攻殻機動隊を学生の頃に学校で見せればいいと思う(狂気)

あんなにいい教科書、ありますか?

見たことない人は、ほな、見てください。正義というのは個々人の押し付けでわなく考え得る全ての事柄を承知した上で導き出す現状での最適解であるべきということが、なんとなくわかる。

わたしも、正義のことわかんないけど、攻殻機動隊を全部見たら、なんとなくわかった。(ドヤ顔)

 

あと、コードギアスの、

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

これも良い。全くもってそうである。

「ユフィやナナリーが望んだのは自分に優しい世界ではない。他人に優しくなれる世界だ!」

あー;;

まあそんな綺麗事と思うかも知れない。わたしもそう思う。だが、あのアニメを通しで見ると、なんとなくわかる。

わたしはルルーシュに辛辣なので、お前がそれを言うかとも思ってしまったりしなくなくなくなくなくなくなくもなかったりするのだが、でも良いセリフだ。

 

どうですか?いっちょ、攻殻機動隊を道徳、または生活、または倫理の授業に挟んでみませんか?

攻殻機動隊S.A.C、素晴らしいですよ。

 

 

 

 

 

 

敬具